C.W.ニコル氏と癒しの森® ― ニコルさんを偲んで ―

信濃町森林メディカルトレーナー 高力一浩

1995年ごろ、ニコルさんとニコルさんの下で働いていた福田さん、インタープリター仲間の秋山さんに私の4人が、森について、生活環境について、子ども達についてそれぞれ考えながら、ばらばらと話し合っていました。我々3人はその後、1997年に「杣小屋」という体験・探検倶楽部のようなものを立ち上げ、森の持つ力を日々話し合い、これを「人々の健康」、「森の健康」、そして「未来の森を守る」ために子ども達に伝え、感じてもらう手法を相談しながら活動していました。

 (写真提供:C.W.ニコル・アファンの森財団

2002年、ニコルさんから長野県知事へこれからの時代への提案として、豊かな長野県の森を生かした「エコメディカル・ヒーリング(&エデュケーション)ビレッジ構想」というものが提案されました。その難しく長い名前にどこの市町村も反応することはなかったのですが、当時信濃町の仲間8人ほどで、森の力を生かした事業である「癒しの森」の原型を考えていた我々は、即座に県庁に乗り込みこの補助事業をいただけることになりました。
「癒しの森®」は、すぐに信濃町と長野県によって事業化されることとなり、町役場の担当には農林課林務耕地係があてられ、今や有名な浅原さんの元、官民の協働事業としてその仕組みづくりを毎晩遅くまで、県の職員も一緒にみんなで行いました。特にトレーナーの育成とレベルの均一化、宿での癒しとは何かを考え、規定づくりに時間を費やし、2003年11月に「森林メディカルトレーナー®」養成講座と「癒しの森®の宿」養成講座を開催しました。上原巌先生の元、65名のトレーナーと30の宿が信濃町長により認定されたのでした。
ニコルさんが大きな枠組みを提案してくれたこの事業は、その後、日本初の森の癒し効果のエビデンスを取りながら、今や35の企業や団体、学校法人(海外も含む)と協定を結び、11期生まで森林メディカルトレーナーを自ら育て、年間約6,000泊、4,000名の森林セラピー体験者を迎える事業となっています。その結果、森にも手が入るようになり素敵な癒しの森の小径も増えています。
また、エデュケーションの部分は、ニコルさんと2002年当時から議論を重ね、推敲を繰り返しながら、アファンの森で「心の森プロジェクト」「5センス(ファイブセンス)プロジェクト」として、同じメンバーが中心となって「心に障害のある子ども達」と「視覚に障害のある子ども達」を年に6回、それぞれ2泊ほどの活動を2004年3月からアファンの森で受け入れ、現在まで被災地の子ども達の心の豊かさづくりも含め、16年間で受け入れた子どもは2,000人を優に超えています。そしてこのプロジェクトの担当者としてずっと動いているのが、現在の「癒しの森®」を取り仕切っている「しなの町Woods-Life Community(WLC)」事務局長の河西さんです。

癒やしの写真(写真提供:C.W.ニコル・アファンの森財団

ニコルさん(我々はニックと呼んでいます)の遺志をしっかり継いで「癒しの森®」と「心の森プロジェクト」は、信濃町と森林療法研究会ひとときの会®、(一財)C.W.ニコル・アファンの森財団®、(株)さとゆめのメンバー、さらには提携企業や団体の皆さんともガッチリ手を組んで、今後も森を守り、事業を守り、発展させ続けていくことができると信じています。
凸版協定

調印式に出席されたニコルさん

・・ニック、ありがとう!!森は、森の心はきっと日本人の中で守られていくよ・・
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